海(続き)

本当に海へ連れていってもらった。

彼の息子と3人で、朝早くに出て、海へ来てしまった。

 

強くうねる波のリズムは複雑で、今ここにいる3人の関係性を示唆してるみたいでいやらしい。

しかし思ったより海の水は冷たくなくて、ボディボードをやる彼と息子を横目に、私はひとり、浮き輪で海を漂っていた。

 

陽はほとんど差さなくて、砂浜の砂がとてもあたたかい。

寒い日だったけど、思いのほか海のなかはあたたかくて、ほとんどの時間を、私は海の中で過ごした。

波の向こう、水平線の袂へどうしようもなく呼ばれている気がして、沖へ沖へと行きたかった。
でも波に拒まれて、私は何度も何度も、波に殴られるように岸へ流される。

遠くに、浜へ上がって休憩している彼と息子の姿が見える。

何を話しているのだろう。

 

ふたりが遊ぶ姿はたぶん、私には永遠に手に入れられないものだ。

私が結婚することと子供を産む可能性は限りなく低いだろう。

その引換に彼から得たものはいくつあるだろう。

そんなにたくさんはなくていいな。

片手で持てるくらいでいい。

空いたもう片方の手で、私は彼の手を握っていたいから。

 

波が来る。

寄せては返し、寄せては返して、私たちを思いもよらないどこかへ流してしまう。

いつか、鼓膜に流し込まれた言葉だけ、大事にしまっておきたい。

「お前と2人、海辺で暮らすのもいいな」って、そう言ってくれた言葉を。

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水着を買ってもらった。

海に行く予定もプールに行く約束もないのに買ってもらった。

 

試着室で着てみてあれこれ言われるのが少しだけ楽しみだったけどそんなことはなく、「これ」と選んだものを、彼は真っ直ぐレジに持って行った。

あんなに水着の試着楽しみにしてたのにどうしたの?と聞いたら、奥さんにしかしたことないようなことをして、ひどく恥ずかしかったと言っていた。

こんなの、さぞや手馴れてるんだろうとばかり思っていたからびっくりして、でも照れてる顔がかなんだか可愛いかった。

 

白地に赤や青の淡い花柄の散ったビキニ。

 

こんな可愛いの選んじゃってどうしようと思いながら、後で着て見せたら「すっごく可愛い。買ってあげてよかった」と喜んでくれて、一安心した。

 

今年中に一回、海に連れていってやるから。

そう、彼は言った。

ボディボード教えてあげる。やったことないでしょ?

そう言って、海の遊び方をたくさん教えてくれる。

そうそう、日焼け止めもちゃんと塗ってあげるからね。

そう言ってわらう顔がいとおしかった。

 

明日のことさえ、どうなるかわからない。けど。

でもこうやって、未来の話が出来るのはすごくいい。嬉しい。

初めの頃はこんな風にどこかへ一緒に行く計画を立てられるなんて夢にも思ってなかった。

ふたりでできるのは夜にお酒を飲みながら話をして、体を重ねることだけだった。

それが今は、毎週のように昼にデートしたり、遊びに行く話をしてる。

ほんの少しずつでもこうやって、一緒に出来ることが増えていることが幸せだ。

 

海水浴は小学生の時に行ったのが最後で、もう、どんなものだったかもろくに覚えていない。

彼の愛する海はどんな姿をしてるだろう。

 

陽の光で煌めく波、素足で触れる砂浜の温度、空の青さ、水の冷たさ。

海についてはまっ白なままの私の心を埋められる日が楽しみだ。

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夜のおすそ分け

今日は疲れたからまっすぐ帰るよ、とメールが来た。

そうか、おやすみ。と返事をして、タバコに火をつけた。

 

途端に、夜が蒼暗くて寄る辺ないものになって、途方に暮れそうになる。

山猫とはいつも夜にばかり話をして、一緒にいた。

明るい陽の光の下は、私たちの時間ではない。

わたしの仕事が休みの日はドライブに連れて行ってもらったり、お昼を一緒に食べたりもするけれど、それもこの1年くらいのことで、山猫といえば夜の空気、色、気配ばかりがする。

無限に膨張して、わずかな光で色を変え、掴みどころのない山猫に、夜はあまりにも似合いすぎているんだろう。

 

今は夜だ。真夜中の、空の色が一番暗闇に近い時間。

それなのに山猫がいないというのはひどく心細くて寂しくて、私は困ってしまう。

 

けれど彼にも疲れる時はあって、一人になりたい時もあって、そんな彼の心を、自分が寂しいから、という理由で踏みにじるのは、してはいけないことだ。

 

メール画面をぼんやり見ながらタバコを一本吸って、私は山猫に電話をかけた。

そんな事言わないで来てよ、なんて言わない。

そのために、少しだけ、彼の声が聞きたかった。

 

電話をしたらすぐに出てくれて、「今ね、ケサランパサランをいっぱい捕まえたよ。手の中いっぱいにいるよ」、と教えてくれた。

そして今日の話を少しだけして、お家に着いたら写真を送ってあげる、おやすみなさい、と電話を切った。

 

会話の内容はなんでもいい。

ほんの少しだけ、ヤマネコの夜をもらえたから、今日もきちんと眠れるだろう。

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指環

誕生日に、指環を買ってもらった。

ホワイトゴールドの華奢な土台に、ダイヤが散りばめてある。

その指環は、私が強請って買ってもらったものだ。

 

去年の夏に、よその男の子と寝たことを山猫に打ち明けた。

そのとき、私はまだ彼の女ではなく、

肌を合わせているとき、たびたび、「ほかの男と寝てもいいんだよ」と言われるような状況で、

そのときも、彼がそんなことを言うものだからつい、打ち明けてしまったのだ。

 

いつも飄々として、「お前は俺の女じゃない」「はやく彼氏をつくれ」などと言っていた山猫が、ひゅっと、豹変した。

そこから嵐のような数日を経て、私はやっと、彼の女になったのだ。

関係を持つようになってから、丸二年が経っていた。

その嵐の最中、何が欲しいかを聞かれた。

私は「山猫が欲しい」と即答し、「それは無理」と叩き落された。

だったら指環がほしい、私はひるまず食らいついたのだ。

本当にもらえなくても、別に良かった。

ただ、目に見える形で、彼の気持ちが欲しかった。

 

身体から始まった関係だから、身体しかないような気がして、

お互いの欲求が尽きて凪いでしまったとき、

もうそこには何もないような不安があって、

だから、どうしても、目に見えるものが欲しかったんだろう。

 

喧嘩をして外したり、突き返してゴミ箱に捨てられてしまったりもしたけど、

指環はいつも、私の右手の薬指に在る。

他の女の影がちらついたり、

ひとりぼっちで寄る辺なく眠れない夜も、

指環を見ているとほんの少しだけ安心するから、

指環をもらってよかったと、本当に思う。

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帰り道

寂しくて不安、と連絡したら、ビデオ通話を掛けてきてくれた。

「もうすぐお家着くよ」と、家の近くにある建物なんかを見せてくれた。

 

不安という病を持て余しているこんな夜に、これほど効く薬はなくて、今夜は安心して眠れるように思う。

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絆創膏

夜中に突然、「包丁で指切った」などと連絡が来たので、あわてて絆創膏を持って会いに行った。

 

行くと呑気に刺身を食って、左手の指には血で真っ赤になったティッシュがぐるぐる巻き。

頼むよ、泥酔してる時に刃物持たないでくれよ。

 

もうすぐ夜も明けるであろう頃なのに、何故か日本酒を飲みながら泥酔した山猫の夕飯に付き合った。

付き合いながら、「別に来て欲しくてメールしたんじゃない」とか、昔の女の話をされて、なんだか非道く、虚しくなってしまった。

 

彼は何を確かめたいのだろう。

心配させ続けないと、私がどっかに行くとでも思っているのだろうか。

安心しながらだってきっと、変わらず傍にい続けるのに。

どこかへ行ったとしても、ちゃんと帰ってくるのに。

 

私は山猫の心のどこに絆創膏を貼ってあげたらいいんだろう。

ときどきふと思う。

私が彼を産んであげられたならよかったのに。

そうしたら窒息しそうなくらい抱きしめて猫っ可愛がりして、一生寂しいなんて思わないでいられるくらい、大事にして、手放してあげられたのに。

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おやすみなさい。

遅い時間まで2人、話をして、それぞれの家に帰った。

触れ合うだけのキスをして、おやすみなさい、って。

明日は一緒に映画を見る約束をした。観れるといいな。

 

たくさん、たくさん話をしたのに、今一緒にいないことが寂しいのは何故だろう。

今ここにいて、触れて、抱きしめることが出来たならどんなにいいだろう。

 

もっとしっかり抱きしめておけばよかった。

そしたら、彼の服の匂いがきっと私にも移って、一緒に寝てるみたいな気持ちになれたのに。

 

毎日会っているのに、話をしてるのに、尽きない。

いつまでもどこまでも、気持ちが尽きない。

 

でも、今日はすぐに寝つけるだろう。

明日の約束ができたから。

 

おやすみなさい。

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